「大阪アジアン映画祭」未知の才能と名作を発掘、20年間の歴史と使命
映画評論家の暉峻創三さんが、「大阪アジアン映画祭」のプログラミング・ディレクターに就任したのは2009年(第4回、08年は開催せず)のこと。「もともとは大阪市民のために始まったイベント。その基本を忠実に守りつつ、国際的なスケールの映画祭として成立させることを常に意識してきました」という。05年の第1回から24年の第19回までに上映した映画は計905作品。3月14日(金)から23日(日)まで開催され...

映画評論家の暉峻創三さんが、「大阪アジアン映画祭」のプログラミング・ディレクターに就任したのは2009年(第4回、08年は開催せず)のこと。「もともとは大阪市民のために始まったイベント。その基本を忠実に守りつつ、国際的なスケールの映画祭として成立させることを常に意識してきました」という。05年の第1回から24年の第19回までに上映した映画は計905作品。3月14日(金)から23日(日)まで開催され...
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