【敗戦80年】和紙の風船爆弾で米国本土を狙った日本:少年・少女を動員して造った「決戦兵器」の虚しさ
偏西風にのせて太平洋の向こうまで爆弾を飛ばす?紺碧の空を、何度仰いだことだろう。1944年の初春。当時16歳だった小川辰夫さん(97)は、外房の九十九里浜の南端にある一宮海岸(千葉県一宮町)で、同世代の若者たちと共に「風船爆弾」の試験飛行の補助作業を繰り返していた。6人がかりで風船を膨らませ、穴が開いていないことを確認してから、空へ放つ。すると巨大な風船は、青空に吸い込まれるようにぐんぐん高度を上...
偏西風にのせて太平洋の向こうまで爆弾を飛ばす?紺碧の空を、何度仰いだことだろう。1944年の初春。当時16歳だった小川辰夫さん(97)は、外房の九十九里浜の南端にある一宮海岸(千葉県一宮町)で、同世代の若者たちと共に「風船爆弾」の試験飛行の補助作業を繰り返していた。6人がかりで風船を膨らませ、穴が開いていないことを確認してから、空へ放つ。すると巨大な風船は、青空に吸い込まれるようにぐんぐん高度を上...
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